2017年02月13日

代表的な感想


以下は、ストーリーマンガを見てほしいと頼まれて、その人に伝えた講評の一部です。

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◯◯さんへ。
ネーム拝見しました。
描きたいことは伝わってきますが、シリアスなストーリーマンガとしては圧倒的に画力が足りないため、マンガとしては成立しないように思います。
ストーリー構成に関して言えば、登場するキャラクターの紹介マンガにしかなっていないため、面白味が伝わってこないように思います。
世界観が分からないのはつらいです。
どういう時代の、どういう世界の話なのかが分からないまま展開していくのは、読者に対してかなり不親切。
登場するキャラクターも、どういう人物なのかが分からないままでのストーリー展開なので、読者が共感する事が出来ません。
「どういう人物」が「どういう世界で何をする」マンガなのかをしっかり伝える演出をしてみよう。

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この他にも具体的な内容のチェック・アドバイスがありますが、その部分は省略。

これ、◯◯の名前を入れ替えるだけで、かなり多くのマンガ描き初心者に当てはまってしまう講評文なのです。


posted by かとう at 18:29| Comment(0) | マンガ専門学校の講師の仕事

2017年02月07日

化ける!


つくばの専門学校も卒業制作を終え、あとは卒業式を待つばかりという時期になりました。
2年間に渡って授業でマンガを描き、マンガを描いたこともなかった子が、個人差こそあれマンガが描けるようになります。
それでもプロ並みの作品を描き上げるレベルまでは、そう簡単には到達しないものです。

その子は、学校に入ってから本格的にマンガを描き始めたという子でした。
最初の課題はかなりぎこちないものでしたし、1年生の時に提出された課題は下手ではないけれど、取り立て褒められるようなものでもありませんでした。
2年生前期の課題は、絵はしっかりはしてきたけれど、コマ展開がやや分かりにくく、詰め込み過ぎて今ひとつな作品でした。
センスはとてもいいし、勘所もしっかりしている子です。
1年半で、これだけ描けるようになっただけでも大したものだと思っていました。

先日、卒業制作の課題が提出されたので作品を見たところ、マジで驚きました。
もちろんネームのチェックはしていますし、こうしたらいいよというアドバイスはしたものの、出来上がった作品は興奮する程の完成度の高いものでした。
「ペン入れ・仕上げで作品を面白く見せる能力」が、予想をはるかに超える出来栄えになっていたのです。
信じられない!スゲエ!アンビリーバボー!です。
講師生活をしてきて初めて、「続きを読みたい!」と思った瞬間でした。
「化ける」って、こういう事を言うのでしょうね。
持ち込みに行けば、間違いなく担当が付くレベルです。

私は根が正直なので、ホントに出来のいい作品に出会うと「興奮を隠しきれず」褒めてしまいます。
それは相手にもきっと伝わっていると思うので、自信をもってくれたらいいなと思っています。
今まで100点という点数を学生の課題に与えた事はないのですが、きっと100点をつけると思います。

こういうことがあるから、講師という仕事は感動的で楽しいのです。



posted by かとう at 06:13| Comment(0) | マンガ専門学校の講師の仕事

2017年01月31日

プロにしてもらえる?



私は専門学校でマンガの描き方を教える立場なので、気になるのが「〇〇してもらえる」という考え方。

もちろん専門学校ですから、「マンガの描き方」は当然のことながら「教えて」もらえます。
授業ではマンガを描きために必要な知識や技術(の情報)が提供され、実習する時間が確保されます。

モンダイなのは次の点。
「マンガをうまく描けるようにしてもらえる」とか、「マンガ家にしてもらえる」と考えている人がいるみたいだという事。

専門学校は、教えられた知識や技術の情報を元に、「自分で実践して身につけていく」事が前提です。
個人の能力差はありますが、身につく速度や能力レベルは「学校サイドがしてあげる」ものではなく、「本人が努力する」事なのです。

専門学校に行かなくても、マンガ家になれる人はいます。
でも、なれない人だってたくさんいます。
同様に、専門学校に行ってもマンガ家になれない人は多いですが、なれる人だってもちろんいます。
要は、「なれる人はなれる」「なれない人はなれない」という当たり前の事実があるだけです。

それじゃ、専門学校などいらないのでは?と思う人がいるかもしれません。
では、何のために専門学校があるのか?
ポイントになるのは「独学では知り得ないプロのマンガ家の生きた専門知識・技術情報」が手っ取り早く得られるという事、マンツーマンでの作品製作過程でのチェック&アドバイスで「作品制作のノウハウ」を効率的に体得できる事、そしてマンガを描く時間がタップリ確保出来るという事実です。

簡単に言うと、「なれる人」にとっては「独りよがりの試行錯誤」で無駄な時間を浪費せず、「短時間で目標に到達できる」という事です。

本来なら「なれる人」が、独学ゆえに「なかなかなれない」あるいは「結果としてなれない」という人だって出てくるのです。

こう考えると、専門学校がどういう所なのかご理解いただけるのではないでしょうか。



posted by かとう at 07:37| Comment(0) | マンガ専門学校の講師の仕事

2017年01月24日

マンガを描き続ける



若い頃は、「マンガを描きたい!」「本に掲載してもらってみんなに読んでほしい!」という大きな欲求があった。
だから認めてもらうために、何作も何作も、何の報酬もなく描いては投稿し、描いては持ち込みを続けた。
全然苦ではなかった。
これからの長い人生に、可能性を感じる事が出来たからだと思う。
どれだけの時間と労力を費やしただろう。
思い起こすだけで目がくらむ。

マンガ家として活動できるようになって、原稿で収入を得られるようになったのは幸せな事。
マンガ家をプロとして続けていくと、「マンガを描くこと」=「収入を得ること」という事が当たり前になってくる。

そういう流れが出来てしまうと、「収入が発生しないマンガを描く」のがツラく感じられてくる。

仕事が無くなり、持ち込みをしても道が開てこない時期に突入すると、歳を取った分がんばれる量にも限度が出てくる。
昔は平気で描けていた「収入にならない原稿」を描く事が、こんなに辛いものかと思った時に、マンガを描き続けることの限界を感じた。

お世話になっている編集さんにお会いした時、こんなことを言われた。
「かとうさんにマンガを依頼する編集部はもうないと思います」
かなり冷たい言い方だが、悪気があって言われたのではない。
事実を素直に伝えられただけ。
15年間連載経験のあるマンガ家ではあるけれど、大ヒット作を生み出したわけでもなく、ネームバリューもない。
ましてや高齢(40歳でデビュー)となれば、扱いも面倒。
次々にイキのいい才能のある新人が出てきているのだから、よほどのヒットメーカーや巨匠でない限り出番を失っていくのがマンガ界。
そもそも厳しい世界だと覚悟は出来ていたはずだが、いざとなると心が寒くなる。

その編集さんが、続いてこんな事も言ってくれた。
「かとうさんのスゴイところは、依頼もされないのにマンガを描いて売り込んでくる事」
(ちなみにそのマンガとは「マンガのマンガ」のこと)
皮肉のようにも聞こえるけど、本気のようにも聞こえた。

依頼がなくても、必要とされるマンガを描けばいい。
例え編集部に売り込めなくても、自分でなんとか出来る環境が整ったのが今という時代。
まだまだ頑張りようはあるのかも…という気になっている今日この頃です。



posted by かとう at 05:44| Comment(0) | myマンガ道

2017年01月17日

気持ち悪いと言われる?



専門学校の学生から聞いて、「へぇ〜今の時代はそうなのか」と思った。
「マンガを描いている・漫画家になりたい」と言うと、オタクだと思われ、気持ち悪いと言われる…らしい。

「…らしい」と書いたのは、私自身そういう言われ方をした事がないからだ。

もっとも私がまだ若い学生の頃には「オタク」という言葉自体無かったし、マンガを描く人が周りにいること自体が珍しい時代だったから、そういう言い方をされなかったのかもしれない。

それにしても、「マンガを描いている事」が気持ち悪いのだとしたら、当時「オタク」という言葉はないにしろ、私も気持ち悪がられていたはずなのだ。

小・中・高を通じて、クラスのみんなは私がマンガを描くのを知っていた。
「うまいね〜!!」と褒められることはあっても、「気持ち悪い」と言われたことは一度もない。

では「漫画家になりたい事」が気持ち悪いのだろうか?

たしかに「漫画家」という仕事はかなり特殊であり、「なりたい」から「なれるという職業ではない。
小学1年生が何の根拠もなく「ボクは大きくなったらサッカーに選手になりたいです!」というニュアンスを醸し出しているようには思える。
そこの部分なのだろうか?

私自身、小学生の時には「漫画家になりたい!」と公言していたけれど、中学に入ってからは「漫画家になりたい」と言わなくなっていた。
簡単になれる職業ではないという一般的な考え方が理解出来たので、根拠もなしに公言するのはリアリティーに欠けるし、ちょっと恥ずかしいかもという理性が働いたのだと思う。

あくまで私の推測でしかないが、そういう事なのだろうか。

「オタク」=「気持ち悪い」というレッテルが先ずあって、「なんか人とは違う→ちょっと変→マンガ描いてる→わっオタクだ→気持ち悪い」となるのかなぁという思いもある。

どういう理由にしろ、勝手に言わせておけばいいと思うのだ。

映画「まあだだよ!」の中で、黒澤明が言っている。
「自分にとって本当に大切なものを見つけるといい。見つかったら、その大切なもののために努力しなさい。」

「大切なもの」がマンガであれ何であれ、人が生きていく上でそれはとても幸せな事だと思うのだ。









posted by かとう at 11:25| Comment(2) | つれづれなるままに

2017年01月07日

マンガ能力の経験値



「マンガ能力の経験値」というのがあり、マンガ描き初心者からプロとして活躍されている先生に至るまでが持っています。
そして、その経験値にはレベルがあります。
時間的に長い短いの経験値ではなく、マンガを表現する事に対しての「経験から得た技術や情報や理解度」が該当します。

ストーリーマンガを描いたことのない人の経験値は、当然「0」です。
ストーリーを考えて、コマ割りをして、ペン入れして、作品を完成させる…といった作業を何回も経て、レベルは上がっていきます。

ストーリーマンガを描く上での役に立つ情報や注意すべき情報などは、相応のレベルに達していないと理解することが出来ません。
何の役に立つのか、どうして注意すべきなのか…の判断が出来る能力がないと、情報は単なる言葉でしかなく、頭の中を通り抜けていきます。

私はストーリーマンガを描くために役立つ(と思われる)様々なツイートをしています。
「何の事をツイートしているのか」は、相応のレベルを持つ人には概ね理解していただいているようです。

ところが同じツイートに対して、ごく稀にトンチンカンな反応をされる方がいます。
私のツイートの内容を違う意味で受け止めておられるのだろうと思うのですが、大変に残念です。

専門学校の授業でも同様ですが、同じ事を話しても学生のレベルの違いによって、理解できる子と理解出来ない子が出てきます。
しかし、学校の場合はマンツーマンでの対応が出来るので、レベルにあったアドバイスを個人に対してする事が出来ます。

ツイッターの場合、不特定多数に向けてのツイートになるので、理解していただけない人が出て来るのはやむを得ないのだろうと感じています。

ちなみに私は「大ヒットを飛ばせる売れっ子マンガ家としての経験値」を持っていないので、「どういう描き方をしたらヒットするマンガが描けるのか」といったレベルのツイートは無理ですし、すべきではないと自覚もしています。



posted by かとう at 08:48| Comment(0) | つれづれなるままに

2017年01月02日

新年のご挨拶

image.jpeg

新たな1年がスタートしました。

今年こそは必ず!と誓いを立てて、頑張る決心をした事が何度もありました。
そんな事の繰り返しでいつの間にやら歳をとってきたのですが、思い通りに成果を出せた試しがありません。

誓いを立てることはとても大切ですが、「誓いを立てる」ことで「そんな自分に酔ってしまう」場合もあったように思います。

大事なのは「出来ることを精一杯続ける」こと。
そして無理をしないこと。

気がついたら、良い結果になっていたことが多いです。
そういうものだと思います。

posted by かとう at 06:23| Comment(0) | つれづれなるままに

2016年12月19日

ストーリーマンガとコミックイラストの違い


私が考える「ストーリーマンガ」と「コミックイラスト」の違い。

コミックイラストは、一枚の静止した絵で切り取った「時間の一瞬」を見せるもの。
描かれた1枚の絵で完結している。

ストーリーマンガは、数ページにわたるコマ展開で「時間の流れ」を見せ、物語を伝える。
コマに描かれた絵は、一部に過ぎない。


コミックイラストは、画面に描かれた様々な情報により、見ている人の想像力を「刺激」し独自の物語をイメージさせる1枚の絵。

ストーリーマンガは、「余計な想像をさせず」具体的に展開を見せて物語を伝える、数ページを必要とする絵の集合。


同じ「絵を描く」でも、目的がかなり異なるものです。
この違いを理解出来ていない人は案外多いように思います。
かく言う私も明確な違いがあると理解出来たのは、マンガを教える立場になってしばらくしてからだった…という恥ずかしい思いがあります。


posted by かとう at 06:58| Comment(0) | マンガについて考える

2016年12月03日

「人並みの集中力と持続力」では難しいかも


「ストーリーマンガを描く」という作業は大変な時間を必要とするため、トテツモナイ集中力と持続力が必要になります。
それをマンガ家は当たり前のように、〆切に間に合わせて描いているのですから凄いです。

こんなことは以前の私なら口に出す事はありませんでした。
なぜなら自分はマンガ家でしたから、そんなことは当たり前のことだったからです。

こんなことを言い出す自分に驚いているのですが、これはおそらく年を取って能力値が下がってきたからだと思います。
最近は集中力が衰えてきました。
持続力も目に見えて少なくなっています。
以前なら3時間や4時間机にかじりついていても平気だったのですが、最近は1時間が限界です。
普通の人並になってしまった感じです。

専門学校の学生たちは休み時間を取ることもなく、授業中は午前3時間午後3時間完璧に集中して原稿を描いています。

それでもナカナカ原稿が描き上がらない。
(描き慣れていないので、手が遅いという理由もあるかもしれませんが)
つまりこの集中力を継続しても、なかなか原稿は描き上がらないものだということです。

昔の自分を振り返ると、とんでもない集中力でマンガを描いていたということが実感でき、凄い事をよくやってきたなぁと改めて感心してしまうのです。

「マンガ家になりたい」と思つている人は、この異常とも思える集中力・持続力を持ち合わせているでしょうか?

「マンガ家になりたい」と思っているだけではマンガ家になれるものではありません。
マンガ家になるための最低条件として、この「異常な集中力・持続力」は必要なものなのだろうとつくづく思うのです。


posted by かとう at 11:41| Comment(0) | マンガ家を目指す皆さんへ

2016年11月23日

「なんとしてもマンガ家になりたい!」と思った記憶がない



子供の頃から、睡眠時間をタップリ取るタイプでした。
中学校時代まで毎日10時間は眠っていたし、高校に入っても毎日8時間の睡眠時間はキープしていました。
そんな生活を続けていたので、「短い睡眠時間」というのは生活していく上で耐えられない…という身体になっている自覚がありました。

なんでこんな話を始めたのかというと、ある事に思い当たったからです。
私は「なにがなんでもマンガ家になりたい!」と思ったことがないのですが、その理由がこれだったのではないのか…ということ。

私が本格的にマンガを描き始めたのは、高校生の頃です。
とにかく描くことが楽しい。
マンガを描く事ほど世の中に楽しい事はない!と思っていました。

本に載せてたくさんの人に見せたいという思いは、もちろんありました。
そういう意味では「マンガ家になりたい!」という思いはあったのです。

ところが、マンガ家という仕事は「締め切りに追われ徹夜の連続」という情報が私に刷り込まれていた為、「マンガ家の生活は自分には無理!」という確信がありました。

「マンガを描いて収入を得て生活出来る」のは夢のようだけれど、「睡眠時間が確保出来ないような仕事は耐えられない」だったわけです。

当時の「売れっ子(死語か?)」の先生方は、月産枚数と徹夜日数を自慢しているような時代でした。
「スゴイなぁ…」と驚嘆はするものの、「そんな地獄は見たくねぇ」という思いの方が強かったのだと思います。
私の中に「なんとしてでも」マンガ家になりたいという記憶がないのは、おそらくコレだと思います。

幸いな事に、コロコロコミックでマンガ家の先生の仲間入りする事が出来ましたが、仕事として成立したのは「売れっ子作家にならず(なれず)、ペースが月刊誌だったから」こそだと思います。

一度も徹夜した事がありません。
楽しくマンガを描いて、毎月収入を得られる。
まるで楽園のようです。

人は落ち着く所に落ち着くモノなのだ…と思った次第です。

ちなみに「チョコボのマンガ」が人気が出て、別冊掲載の依頼があった時、その月の月産ページ数倍になってしまう為、「ページ数を減らして欲しい」と編集部に懇願して、あきれられた事があります。
「ページ数を増やせと言う先生は多いけど、減らせというのは初めて」だったそうです。

体調が万全の状態でないとマンガは描けないタイプなので、私にはとっても重要な事だったのでした。


posted by かとう at 05:20| Comment(0) | myマンガ道

2016年11月16日

「スタートレック」が好き



先日「スタートレック/ビヨンド」を観に、久しぶりに映画館に足を運びました。

「スタートレック」は、TVドラマ「宇宙大作戦」以来のファンで、以降アニメ版も含めて、全てのシリーズ・映画を観てきました。

JJエイブラムスが新たに作り出した映画版は、オリジナルのメンバーの若い頃の冒険物語としての描かれていますが、すこぶる面白いです。

「宇宙大作戦」の頃には、表現したくても出来なかったビジュアルがCG技術の発達で可能になり、本来見せるべき映像が「遂に実現した!」という印象です。

オリジナルのカークやスポック、マッコイやウフーラ、Mr.カトー、チェコフと言ったキャラクターが新メンバーになるということで、不安はありましたがオリジナルよりオリジナルらしく感じられて、今では文句のつけようがありません。

今回の「スタートレック/ビヨンド」は、始まりから「クライマックス」展開。
目を離している隙がありませんでした。
グイグイ引っ張られ、気付くと真のクライマックスに引きづり込まれ、もう爽快感満載、ドキドキハラハラしっぱなし。

キャラクター同志の会話も「スタートレック」していて、笑える・泣けるの連続でした。
伏線の張り方が上手かったなぁ。

「スタートレック」を見続けている人にしか面白さは伝わらないかもという、さりげない内輪受けの会話も含めて、私にとっては最高のスタートレック映画でした。

今までズーッと「スタートレック」を見続けてきて確信していることがあります。
それは「最新作が最も面白い」ということ。

次回作がいつになるのか分かりませんが、次回作はもっと面白いのは間違いないです。


posted by かとう at 05:49| Comment(0) | 映画・TV

2016年11月10日

読み切りストーリーマンガの主人公の描き方



「誰が主人公なのか」「どんな主人公なのか」を、ちゃんと分かるように伝えるのは重要なポイントです。
主人公が分からないとストーリーの軸が見えにくくなり、何を見せたいのかが分かりにくい展開になってしまいます。

学生が描く読み切りストーリーマンガでありがちなのが、「魔物を退治するハンター」と「巻き込まれてしまう少女(または少年)の話。

巻き込まれてしまう少女(または少年)の視点でストーリーが展開し、「ハンターに助けてもらうまでの内容」になるパターンが多いのです。

少女(または少年)の視点で描かれている以上、主人公は少女(または少年)が主人公だと思って読者は読み進めます。
ところが、ハンターの活躍がメインになってしまう展開だと、「主人公の座」はハンターに移ってしまい、ストーリーの軸にねじれが生じて「どんな主人公が何をする話なのか」が分かりにくくなります。

少女(または少年)が主人公であるなら、ストーリーの軸は必ず少女(または少年)に置く事。

主人公は「してもらう」存在ではなく「してあげる」存在である事がポイント。

話を構成する上で、「誰が主人公なのか」をしっかり演出してストーリーの軸にねじれを生じさせない工夫が必要になります。



posted by かとう at 07:38| Comment(2) | マンガの作り方

2016年11月02日

アドバイスを無視する学生の話


ストーリーマンガを描く上で、基本的な約束事というのがあります。

例えば、プロ用のマンガ原稿用紙は1.2倍の大きさに拡大して描いているので、当然セリフの文字も大きめに描く必要があります。

「大きめに書かないと印刷時に支障が出るから」と、何度アドバイスしても直す事をしない学生がいたりします。

直そうとはしているけれど、他の修正箇所に夢中になって忘れてしまうのかもしれない。
あるいは「文字を大きく書くだけ」というのは、なんの苦労もなく 直せると思っているので(実は大変な修正を意味するのだが)、「修正行為」としての認識がないのかもしれない。

結局出来上がった原稿は、明らか文字が小さ過ぎる(フキダシが小さ過ぎる)原稿になっており、なんのためのアドバイスだったのか分からない事になります。

プロの目から見れば、「たかが文字の大きさ、されど文字の大きさ」なのです。

相手が編集者 だった場合、3度以上同じ事を繰り返すと呆れ返られ見放されるかもしれない…という覚悟は持っていた方が良いです。

これはマンガに限らず、どんな仕事においても共通すると思います。

「仏の顔も三度まで」というのは、まさにこれだと思うのです。


posted by かとう at 06:04| Comment(1) | マンガ専門学校の講師の仕事

2016年10月25日

アドバイス出来る境界

「ストーリーマンガ」を、どの程度のレベルを目指して描いているかは、人によって様々なのだろうと思います。

専門学校では「プロを目指す」という前提で授業を進めますが、学生の意識が本気でそこに向いていないと内容が空回りする事になります。

内容を「分かりやすく」「読みやすく」描いて、読者に楽しんでもらうための「表現能力」を身に付けてもらう。
それが私の授業なのですが、この「表現能力」というのは極めようと思えば奥が深く、キリがないものです。

プロになるための最低ラインというのはあるので、そこまでのレベルには引き上げてあげたいと思うのですが、「レベル1」の人に「レベル10」向けのアドバイスを無理やり詰め込んでも、混乱するだけです。

現状の能力を判断し、一レベル繰り上げるためのアドバイスを個人別にせざるを得ません。
当然の事ながら、人によってアドバイス内容は違いますし、アドバイス量も異なります。

レベルの高い人にはレベルの高いアドバイスをすることになりますが、気をつけなくてはいけないことがあると最近気付きました。

ある一定の基本的な表現をクリアし、さらにその上のアドバイスというのは「個人的なマンガ表現方法」のレベルに入り込んでしまう恐れがある…という事です。

どういうことかというと 、「アドバイスする側の個性」の押し付けになる可能性が出てくる‥ということ。
今まで考えた事もなかった視点だったので、ちょっとドキッとなり、気をつけなくてはならないと思いました。
posted by かとう at 07:45| Comment(0) | マンガ専門学校の講師の仕事

2016年10月18日

ストーリーマンガを描く上で、最初に身に付けておきたいこと。



どんなに面白いアイデアでも、そのアイデアの面白さが伝わらないような、分かりにくい表現になっていては話にならない。

どんなに上手い絵でも、何を伝えたいのか分からない展開では読むのがつらい。

どんなに面白いストーリーを考えついても、そのストーリーの面白さが伝わらない構成・演出では意味がない。

自分が描きたいと思っている事を、読み手にちゃんと伝わるように描く。
そのためにはどういう表現・構成・演出をすれば良いのか?
コマ構成・コマ展開を考える上で、とても大切なポイント。

絵は下手でも、とりあえずOK。
よくあるストーリー内容でも、とりあえずOK。

何を伝えたいのか、読み手の負担にならずストレートに理解出来るマンガ表現を身につける事が大事。

当たり前の事ではあるけれど、ストーリーマンガを描く上での基本。


posted by かとう at 04:49| Comment(0) | マンガ家を目指す皆さんへ

2016年10月05日

「読み切り」作品を描く時に意識してほしい事



扉をめくった後の「冒頭の見開き4ページ」以内に主人公をアピールし、「どんな主人公が何をする話なのか」を「面白そう!」と期待をさせる導入部である事がとても重要。

最初の4ページで「どういうマンガなのかが表現出来ていない」と、「面白そう」と思わせる事が出来ず、その後の展開も「よく分からないマンガっぽい」と判断される可能性があります。

大量に送られてくるコンテスト応募作品の場合、予選審査では最初の数ページでふるいにかけられます。
実際に私自身も予選審査を経験してみて、実感します。
冒頭の4ページが「何を見せようとするマンガなのか」が伝わる描き方がされていない作品は、最後まで「何を見せたいのか分からない」という事がほとんどです。

冒頭4ページはとても重要。
読者に食いついてもらう事が大事。
その基本は「どんな主人公が、何をしようとする内容なのか」を伝える事。
ぜひ頭に入れておいてください。


posted by かとう at 07:53| Comment(0) | マンガ家を目指す皆さんへ

2016年09月26日

添削という仕事


ストーリーマンガの添削って、「感想を述べる」ことではない。
「どこ」が「どう具合が悪い」のかを「具体的に指摘」し、「どう直したらいいのか」を「具体的に示す」事。

例えば、「分かりにくい描き方なので、もっと分かりやすい描き方を!」とか添削されても、余りに抽象的すぎて役に立たない。

分かりにくいのは「絵」なのか「コマ展開」なのか「文法的な問題」なのか「ストーリー構成」なのか、あるいは…と、いくらでも該当するものが出てくるのはずだなのだ。


「具体的にどこが分かりにくい」のか、「なぜ分かりにくいのか」を指摘して、「どうしたら分かりやすくなるのか」をアドバイスして初めて添削といえる。

「未熟な作品」には「具合の悪い所」が山ほどあって、全てを具体的に指摘していったら大変な時間を必要とするし、指摘される方も混乱するばかりになる。

そこで、もっともポイントになる部分を指摘して添削する事になるが、「そんなことを聞きたいのではない」という場合もあるみたいで、なかなか難しい仕事だと思うことがある。




posted by かとう at 06:18| Comment(2) | myマンガ道

2016年09月12日

どの程度の描き込みのネームを描くべきか



専門学校に来る学生は、基本的に「ストーリーマンガ」初心者が多いです。
ストーリーマンガを描く勘所をつかんでもらう為に、最初は「ネーム」は丁寧に描いてもらっています。

そうしないと、「何が描かれているのか一向にわからないネーム」が出来上がってくるため、アドバイスのしようがないからです。
(大雑把でも、何が描かれているのか分かるように描くのは技術が要るものなので、ラフに分かるように描くのは、逆に初心者には難しい。)

ある程度ストーリーマンガを描くことに慣れてくると、ラフなネームでも何が描かれているのか分かるようになってきます。
丁寧にネームを描くと時間がかかるため、「もっとラフに描いて時間を有効に使うように」と指導を切り替えるのですが、そのタイミングが難しい。


丁寧に描くことに慣れてしまうと、「ラフに描くことが出来なくなる」という困った状況が起きるからです。

ネームに時間がかかる原因が、「丁寧に描いているから」…というのはよろしくない。
コマ構成・ストーリー展開・演出のチェックに時間をかけるのが、本来のネームの時間の使い方だからです。



posted by かとう at 12:26| Comment(0) | マンガ専門学校の講師の仕事

2016年09月02日

私の持ち込み体験


投稿を続け、賞に選ばれても一向に道が開けない時期でした。
持ち込みをしてみようと決意したのは26歳頃だったと思います。

投稿先はメジャー誌ばかりでしたが、持ち込み先はマイナー誌に絞りました。
(当時投稿していたメジャー誌というのは、少年マガジン、サンデー、キング(廃刊)、ジャンプ)

私が持ち込み先と決めたのは、読者をマンガマニアに絞った「マンガ少年」という月刊誌。
アポイントなしで直接編集部を訪ねました(今考えれば随分ムチャな行動です)。

銀座にあった朝日ソノラマという出版社。
受付で「マンガを見てもらいたいので、マンガ少年の編集長に会いたい」と伝えました。
追い込まれた人間は、平気でスゴイ事が出来てしまうのだなぁと思います。

初持ち込みの作品が預かりになり、数ヶ月後に雑誌初掲載となりました。

入稿が終わった暇な時期で、タイミング良く編集長がそこにいた。
編集長が部下任せにしないマンガ好きな人であった
…という運に恵まれた。

結局、人生で大切なものは「行動力と運」なのだと思うのです。


posted by かとう at 05:01| Comment(0) | myマンガ道

2016年08月15日

セリフが主体になっているマンガ



私が小学6年生の頃のこと。
購読していたマンガ月刊誌に、子供向けの「マンガ教室」的な企画の記事があって、そこにこんな事が書かれていました。

「セリフを読んだだけで、何が描かれているのか分かってしまうマンガを描いてはいけない。」


子供ながらに「(・Д・)…  な、なるほどな〜!」と納得して以来、その言葉が刷り込まれており、自分の中ではマンガを描く時の「要注意基準」の一つになっています。

仕事柄、プロ未満の方の描いたストーリーマンガを見る機会が多いのですが、セリフに頼ったストーリー展開の傾向の作品が多いのが気になります。

セリフで状況を説明し、感情を説明し、内容を説明していくのです。
セリフの入っていないコマなどほとんど見当たらない…といったコマ展開になっています。

絵でどう表現したらいいのかが難しいのかもしれませんが、絵で表現してこそマンガの面白さが伝えられます。
絵で伝えられる部分は思い切ってセリフを省いてみる…といった表現は、マンガとしての面白さを伝える意味で大切だと思います。


posted by かとう at 04:27| Comment(0) | マンガの作り方