2016年12月19日

ストーリーマンガとコミックイラストの違い


私が考える「ストーリーマンガ」と「コミックイラスト」の違い。

コミックイラストは、一枚の静止した絵で切り取った「時間の一瞬」を見せるもの。
描かれた1枚の絵で完結している。

ストーリーマンガは、数ページにわたるコマ展開で「時間の流れ」を見せ、物語を伝える。
コマに描かれた絵は、一部に過ぎない。


コミックイラストは、画面に描かれた様々な情報により、見ている人の想像力を「刺激」し独自の物語をイメージさせる1枚の絵。

ストーリーマンガは、「余計な想像をさせず」具体的に展開を見せて物語を伝える、数ページを必要とする絵の集合。


同じ「絵を描く」でも、目的がかなり異なるものです。
この違いを理解出来ていない人は案外多いように思います。
かく言う私も明確な違いがあると理解出来たのは、マンガを教える立場になってしばらくしてからだった…という恥ずかしい思いがあります。


posted by かとう at 06:58| Comment(0) | マンガについて考える

2016年07月04日

伝わりにくい表現



プロ未満の人が描く「伝わりにくいストーリーマンガ表現」のトップ3。

◎背景が描かれていないので、どこにいるのかが分からないコマ展開。

◎複数の人物が登場するのに、1コマに1人しか描かれないので、位置関係・状況が分からないコマ展開。

◎バストアップの絵が多く、ロングショットで動きが描かれていないので、何をしているのか分からないコマ展開。

推測できるこれらの主な原因は「絵(背景・動作)が描けない」という画力不足。
セリフだけで誤魔化そうとするから曖昧なコマになり、それが連続して更に分からないコマ展開になっていく。

ストーリーマンガを描く場合、ある程度の画力は必要不可欠です。
「ストーリーマンガが上手く描けない」というマンガ描き初心者の大きな原因はここにあるのだろうと思います。
posted by かとう at 05:01| Comment(0) | マンガについて考える

2016年05月23日

「分かりにくいマンガ」の意味


仕事柄、プロ未満のストーリーマンガを見る機会が多いのですが、最近気づいたことがあります。

「分かりにくい表現で作品を描いている」という自覚がないのでは…という事。

コマの中にセリフと絵が描かれていれば、とんでもなくトンチンカンな表現でない限り、「なにが描かれているのか」はおおよそ分かります。
ましてや自分の脳内では完璧に展開が理解出来ているわけだから、「何が描かれているのか分からないマンガ」のはずがない…と思っているのではないのだろうかということです。

何故こんな事を書くのかといえば、「よく分からないんだけど」という私の言葉に対して、「何が分からないのだろう?」…というような反応に出会うからです。

言葉の使い方と言うのは難しいですね。
私が使う「分かりやすい」という言葉は、読む時に「描かれていることが、「何のストレスもなくスッと頭に入って来る表現になっている」という意味合い。
「分かりにくい」というのは、情報が整理されていないために、「どう読み取ったらよいのかの判断がつきにくい為、ストレスを感じる」表現になっているという意味合いです。

「コマ展開」がイイ!とか「テンポ」がイイ!という言い方をしますが、
「ストーリーマンガ」を面白くしているのは、「頭を使わなくてもストーリーがストレスなくスッと頭に入って来る表現」に依るところはかなり大きいものだと思っています。

一般的に「画力やストーリー」は取りざたされますが、「ストーリーマンガ表現」の重要性に関しては、ややないがしろにされているような気がする私です。



posted by かとう at 04:51| Comment(0) | マンガについて考える

2016年05月08日

ネームはなんのために描くのか?



いろいろな考え方はあると思いますが、最大の理由は「編集サイドの承認を受けるため」だろうと思います。

しっかりした構成の作品を描くためにネームを描くという、「描き手」の理由もあると思うのですが、実は「ネームを描かなくてもストーリーマンガは描ける」ものです。

私はコロコロコミックでマンガが掲載されるようになるまで、実はネームを描いたことがなく、原稿用紙に直接描いていました。
(というより「ネームを描く作業」が存在する事自体知らなかった。)

「COM」へ投稿作や「マンガ少年」の掲載作品は、全てネーム無しの「原稿用紙への直接描き」です。
「COM」は投稿でしたし「マンガ少年」は 持ち込みでしたので、ネームを見せる必要など ありません。
自分で納得出来る構成が出来上がっていれば、ネームなど無用だったからです。

月刊「マンガ少年」(既に廃刊)は、描き上がった作品を持ち込み、面白ければ「預かり」、つまらなければ「突き返される」という繰り返しでした。
コロコロコミックの藤子賞に応募して佳作入選した「ドラゴンmyフレンド」も、ネーム無しの原稿用紙直接描きです。

賞に入って担当氏がついた時から、打ち合わせのためにネームを描く必要が出てきました。
ネームを元に、担当氏がこれではダメ!こうしたらどう?と何度も描きなおしをするのです。
ナゼそんな事をするのかといえば、商品として売れる作品を作るためです。
描くのは私でも、それを売る立場にあるのは編集部ですから、当然「商品としてどうか」というチェックが入るという事になります。

連載が始まっても、ネームによるチェックは入ります。
いい加減な商品を売るわけにはいきません。
編集部にとっては商売するための商品作りなのですから、「より商品価値の高いもの」 を作るためにチェックは入り続けます。

専門学校の場合、学生達にネームを描いてもらう理由はやや異なります。
間違った描き方をしていないか?プロとして通用するための最低ラインはクリア出来ているか?のチェックです。
それが出来ていないと、編集部からは門前払いされてしまいます。


ネームを描くことで、「より緻密な構成」の設計図を引くことは出来ますが、同時に「感性による勢い」は抑えられがちになるというマイナス部分もあるように思います。
しかし、現実問題として「出版社と手を組んで仕事をする」場合には、避けられない作業であることは間違いないです。



posted by かとう at 07:19| Comment(0) | マンガについて考える

2016年04月25日

脳は案外いい加減だったりする


「アイデアが思い浮かび」「ストーリーが頭の中でまとまった!」と喜んではみたものの、思い通りにネームに起こせない…という経験をしてきました。
実は「まとまったと錯覚している」だけに過ぎなかった…ということなのだろうと思います。

脳の中では「無意識」に様々な情報を「曖昧なまま」補完し合っています。
ホントはまとまっていないのに、まとまっている事にしまっているだけなので、ネームに描き起こす事が難しいのだろうと思います。

とにかく、まず言葉にして書き出していく。
目の前に具体的に書かれた言葉は、客観的に見る事ができるため、足りない事・矛盾している事を、検討し組み立てていく事が出来るようになります。

「頭の中にあるモノを具体化していく」作業は必要だ痛感します。


posted by かとう at 05:29| Comment(0) | マンガについて考える

2016年04月11日

マンガでセリフのニュアンスを伝える


映画やアニメだと声だけで「セリフのニュアンス」が伝わるし、男なのか女なのかも判断出来ます。
ところが紙に描かれたマンガは声を出せず、セリフを文字だけで表現するため、それらが難しい。
そこでマンガでは「セリフのニュアンス」を伝える方法として、セリフと共に「人物」と「その表情」を一緒に「見せる」ということをします。

そのため、マンガでは「フキダシ(セリフ)」と喋っている「人物」は、「一つのコマの中に一対」で描くというのが基本なのですが、最近はそうではないマンガが多くなっているような気がします。

今は最初にアニメに馴染み、マンガに移行してくる流れなので、「マンガを描いている」というより「動かないアニメを描いている」という意識の方が強いのかも…と思う事があります。
画面が動かないという事は理解出来ても、「声はフキダシの文字だけでは伝わらない」という事には無自覚なのではないのか…と心配になります。

前後のつながりを確認し推測して読めば分からないわけではないですが、読者の脳内補完に頼ることになり、読者にはかなり負担になっているのは間違いないのです。


posted by かとう at 04:39| Comment(0) | マンガについて考える

2016年02月22日

マンガの面白さは、「絵とストーリーのバランス」



「デジタルマンガキャンパスマッチ」というコンテストで、つくばの学生が賞をいただいたきました。
ありがたい事です。
面白いマンガを描く子なので、認めてもらえた事が我が事のようにうれしいです。

審査員の山田ゴロ先生が講評文の中で何気なく言われていたひとことに、目からウロコが落ちる思いがしました。

それは

「マンガの面白さは、絵とストーリーのバランス」

という言葉。

マンガは「絵」と「ストーリー」で構成されているのですが、絵が上手くても、ストーリー(伝えられる内容)が面白くても、その「バランス」が取れていないと「マンガとして面白くならない」…という、当たり前のことに改めて気づかされたのです。

多少画力が劣っていても、伝えたい内容とバランスが取れていると、劣っている「画力」がイッキに「魅力」になります。
だからマンガは面白い。

「デジタルマンガキャンパス・マッチ2015」で検索してみてください。
今なら受賞作品の講評とともに、全作品見る事ができます。


posted by かとう at 06:14| Comment(0) | マンガについて考える

2016年02月15日

挿絵小説(ビジュアル・ノベル)



学生や受講生の描いた「ストーリーマンガ」を見ていて、ず〜っと気になる事がありました。

●フキダシにシッポがついていないので、肉声なのか想いなのか、誰のセリフなのか分からない描き方をする

●コマの中央に、セリフ(フキダシ)がド〜ンと配置されている

●フキダシが、コマの中に描かれていない人物のセリフになっている

●フキダシが、コマとコマにまたがる配置になっている

●どのコマにもセリフが入っている

●コマの中のセリフと絵が連動していない

●行動や状況を絵で描かず文字で説明する

という表現が頻繁に出てくる事。

何故わざわざ分かりづらい表現をするのだろう…と不思議に思っていました。
「画力が足りず、絵の描き分けが出来ない」という、単純な理由だけではないような気がしていたのです。
(実際の話、画力があってもこういう描き方をする人がいる)。

最近、ツイッターでこんなつぶやきを目にしました。
(プロ作家なのか同人作家さんなのか分からないのですが)

「文脈を最も重要視して」マンガを描いている

これを見た時、「ああっ!そういうことなのか!!」と目からウロコが落ちました。

セリフ(ナレーション・独白も含めて)が重要だから、ああいう描き方になるという事に気づいたのです。

コマの中に描かれている絵は挿絵という感覚なのかもしれない。
「挿絵 に囲まれた小説」を描いているのだとしたら、あの描き方にとても納得出来ます。

私はマンガとして読んでいたので、違和感があったのだなぁ…と思いました。

時代の流れかもしれないのですが、これらの表現が受け入れられている空気をなんとなく感じている今日この頃です。


posted by かとう at 06:33| Comment(2) | マンガについて考える

2015年12月21日

セリフの書かれていないフキダシ



添削をする際に、フキダシにセリフが書かれていないネームに出会って驚いた事があります。
シナリオが添付されていたので、セリフをネームにわざわざ書く必要がないと思ったのかもしれません。
自分では「どんなセリフが入るのか」分かっていても、セリフはフキダシの中に書き込んでおく必要があります。

「シナリオ」と「セリフのないネーム」を照らし合わせて見て欲しいという事だと思うのですが、「何が展開しているのか」が見ていてもちっとも頭に入ってこなかった^^;

セリフは絵の一部であり、セリフと絵が連動してこそ、ストーリーマンガの一コマとして成立するものだという認識がなかったのだろうと思います。

チェックしてもらう場合は、「必ずセリフを書く」ようにしっかりと伝えました^^;



posted by かとう at 08:54| Comment(0) | マンガについて考える

2015年10月06日

ストーリーマンガと4コママンガ


「創作マンガグランプリ」というオリジナルマンガのコンテストが講談社のKFSで毎年行われており、応募作品には全員に講評シートと講評文が返却されます。

新たに設置された4コママンガ部門用に、講評チェックシートを作った時の話。

ストーリーマンガと4コママンガの講評用のチェックシートを比べて、面白いことに気付きました。
ストーリーマンガのチェック項目の数に比べて、4コママンガのチェック項目の数はほぼ半分しかないということ。
つまり「4コママンガ」は「ストーリーマンガ」程、表現描写に気を使わなくても描けるということ。

例えば、ストーリーマンガにあって、4コママンガに無いチェック項目。
「メクリ」を意識したコマ展開が出来ているかどうか。

例えば、ストーリーマンガにあって、4コママンガに無いチェック項目その2
大ゴマや小さなコマの描き分けで、メリハリのあるコマ構成が出来ているか。

例えば、ストーリーマンガにあって、4コママンガに無いチェック項目その3
冒頭(導入部)が読者の興味を引く描き方になっているか。

その他いろいろありますが、ストーリーマンガの29のチェック項目に比べ、4コママンガのチェック項目は15でした。
4コママンガは入りやすい(描きやすい)マンガなのだろうと思います。

posted by かとう at 05:26| Comment(0) | マンガについて考える

2015年09月29日

マンガを描くための「はじめの一歩」


とりあえずいたずら描きでOK。
マイキャラで顔を描いて楽しもう。
斜め右向き、バストアップのキャラでいいです。

次に表情を描き分けてみましょう。
笑った顔、泣いた顔、怒った顔、驚いている顔などを描き分けてみるのです。
そこにフキダシを描いてセリフを書けば、キャラクラーに生命が吹き込まれます。
どんな表情とどんなセリフを組み合わせると、どんな状況のキャラクターになるのか?
たくさん描いて楽しんでみよう!

次の一歩は、キャラクターの全身を描く事。
様々な動作を描き分けてみましょう。
顔だけ描くのと違って、かなり難しくなります。
想像だけで身体の動きを描きわけるのは至難の技。
ポーズ集など本がたくさん出ているし、誰かにモデルになってもらって動きを観察して描いてみる…というのもありです。
最初は下手でも、描いているうちに描けるようになってきます。

ある程度身体の動きが描き分けられるようになったら、背景を描く練習をしてみましょう。
キャラクターと背景を組み合わせて描くと、そこに世界が生まれます。

背景をリアルに描くためには、遠近法などの知識が必要になりますし、キャラクターにリアリティーを持たせたいなら、デッサンやクロッキーのトレーニングも必要になって来るだろうと思います。

ここまでクリアできたら、マンガを描くためのステージに一歩踏み入れたことになります。
自分が作ったキャラクターを、自分の作った世界の中で、思う存分動かして楽しんでみましょう!



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2014年12月27日

マンガを描くために必要な能力


「マンガを描く」には、大まかに分けると次の3つの能力が必要になると考えています。
(A)絵が描ける…キャラクターや背景など「コマの中に描く絵」の描き分けができる。
(B)コマ構成が出来る…分かりやすいコマ展開で、展開している内容を伝えられる。
(C)構成・演出が出来る…ストーリーを面白く見せられる。

(A)はマンガを構成する最小の単位である「コマ」を描く能力。
マンガを描いたことがなく、キャラクターを描いても「顔」とか「バストアップ」程度しか描けず、動きの描き分けや背景の描き分けが出来ない人は、まずこの能力を身に付けたいです。

(B)はコマとコマを効果的につなげる能力。
絵の描かれたコマを並べるだけでは、展開を分りやすく伝える事ができません。
マンガとして「分かりやすく面白く伝える」ためには、「コマとコマのつながり」に関連性を持たせたコマの構成が必要になってきます。

(C)はストーリーを面白く見せるために、どんなエピソードをどんな順序で用意すればよいのかを見極める能力です。
エピソードの内容と見せる順序の良し悪しで、ストーリーの面白さが別物になります。

これらABCは、「マンガを描くために必要な能力」です。
「プロのマンガ家」として活動するには、これらの他にもう一つ必要な能力があると考えます。

(D)発想する力…独自のアイデアとテーマで、ストーリーを生み出す能力。

オリジナルなアイデアと斬新なストーリーを提供するのが、プロとして活動する条件なのだろうと思います。
(A)(B)(C)はクリア出来てもこの(D)が足りないために、苦労されている人は多いのではないでしょうか。
posted by かとう at 12:26| Comment(0) | マンガについて考える

2014年10月29日

マンガの読み方


「マンガの読み方」は、子供の頃から読んでいるので暗黙のうちに自然に身に付きました。
「マンガを描く時」は、「マンガの読み方」の原則に沿って読みやすいように描きます。

以前、「視線誘導」に関する事をツイッターに載せた時、ある人に「こんな単純に視線は動かない! (つまり、いい加減な事を描くな)」とリツイートされた事があります。

image.jpg

「私がマンガを見る時の視線の流れ」を意識した画面構成を披露しただけなのですが、その人はそういう見方をしないらしい。

どうやら「コマの中に描かれている絵やセリフ」をまんべんなく見るらしいのです。
某マンガ作品を例に挙げて「とても素晴らしい絵で、細部に渡って詳細に描かれ、いかに目が離せないか」を力説されていました。
その人は、マンガを読み終えるととても疲れるのだと書いていたのが印象的です。

「新しいマンガの読み方」が定着しているのだろうか?
それともその人が特別なのだろうか?

マンガの読み方も時代によって変わってきているのではないかと、ちょっと悩みました。

コマに描き込まれている情報をシッカリ読み取る作業がメインになると、「コマとコマのつながりのテンポ」や「全体のリズム」が掴みにくくなるのではないかと心配になります。

もっとも最近のマンガには、コマの中の絵が一枚のイラストのような描き方がされ、それがすべてのコマに渡って描かれているモノも多いようなので、ひとコマを見る「視線の定着時間」が長くならざるを得ないという事情はあるかな…とは思います。

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2014年07月23日

講談社フェーマスのマンガ添削の仕事



マンガ家ならば誰でも「マンガの添削」など簡単にできそうな気がしますが、自分が実際に添削の仕事を始めてみるとそう簡単なものではないと思うようになりました。
「自分のマンガを描くこと」と「人様の描いたマンガの添削すること」の違いは大きいように思います。

添削を受ける受講生の皆さんはマンガを描けるようになるために受講しているわけですから、基本的には「マンガが描けない人」ということになります。
マンガが描けない人の作品というのは、「何を見せたいのか」「何が描かれているのか」が分からないものが多い。
というより「描きたいこと」を的確に表現出来ていない作品になっているといったらいいでしょうか。

「マンガの添削」作業は自分のマンガを描くのと違い、「なぜ伝わらない表現なのか」を指摘して、その解決方法を伝える能力が必要になります。
その伝え方は「感覚的に」ではなく「論理的に」解説する必要があります。

「感覚的」というのは、見て感じた違和感を「なんかこの辺りが変」だから、こう描くとイイよとサンプルを描く方法。
この「なんか変」という曖昧な指摘は「その場しのぎ」でしかなく、根本的な解決にはなりません。

「どこ」が「どうおかしい」という具体的な指摘があって、「だから」こうして描けばよくなるという「論理的」な添削が必要になります。

添削をするに当たっては、「何を描きたかったのかを推測する」ところから始まります。
おおよそ見当がつくと、「どの部分の表現方法が適切では無いから伝わらないのか」を指摘し、「伝えたいように見せるにはどういう描き方をすればいいのか」を具体例としてサンプルを描き、解説を書いて添付します。

最大の難関は、描き手のレベルによって受け止め方が千差万なので、正しく伝わっているかどうかということです。
指摘したことをちゃんと理解してもらい、次の課題でそれがクリアされているのが分かった時はとても嬉しい。
しかし、理解していただけない場合もあります。
新しい課題で同じような間違いを繰り返されていると、添削者としては落ち込むこと度々です。
モチロンその都度、必要に応じて繰り返し指摘していきます(今度こそ理解してもらえますようにと願いを込めて)。

「マンガの描き方」を理解してもらうというのは、つくづく難しいです(−_−;)
posted by かとう at 05:28| Comment(0) | マンガについて考える

2014年06月26日

イメージを伝えるだけではマンガにならない


何が描かれているのか分からないマンガの典型的な例の一つに、「イメージだけ描いて、具体的な事は読者に想像にまかせる」というのがあります。

例えば「いじめを受けている」主人公が登場するとします。
「僕はいじめを受けている」と語らせて、つらそうな表情を描く。
サブキャラクターが「つらかったろうね」と同情する。
これらの描写だけで、いじめを受けた「かわいそうなキャラクター」と助けてくれる「優しいキャラクター」を描いたことにしてしまう。

どんないじめを受けたのか、それに対して主人公の心情はどうなのか…などは全部読者の想像にお任せ。
なぜサブキャラクターが同情したのかも読者の想像にお任せ。
一切「具体的」な事は描かない。
なんとなくは分かるけど、実は何も分からないような描写。

具体的に描かれず曖昧な描写には、基本的に読者は共感できません。
そこに「説得力」が無いために、ストーリーが空回りしてしまいます。

検証してみましょう。

主人公は具体的に「どんなイジメを受けて苦しんでいるのだろう」と読者は考えます。
あんなイジメか?こんなイジメか?これほど苦しんでいるのだから、想像を絶するイジメにあったのかもしれない。
いや、案外大したことでもないイジメに悩んでいるのかも……、と想像は様々に広がっていきますが判断材料が無いため、わけが分からなくなり読者は混乱します。

サブキャラクターはイジメの実態を知っているらしく、主人公に同情している。
にも関わらず、読者にはちっとも分からないという「読者を置いてきぼり」状態はさらに読者にストレスを感じさせます。

詩や歌詞は抽象的な言葉を組み合わせ、読んだ人聞いた人のイメージに訴えるものですが、マンガは真逆です。
出来るだけ具体的に描かないと伝わりにくいものなのです。
言葉で表現する事と、絵で表現する事の根本的な違いなのだろうと思います。

posted by かとう at 05:46| Comment(2) | マンガについて考える

2014年06月24日

「扉」の話



マンガの表紙にあたるページを「扉」といいます。
基本的に最初のページに「扉」は描かれるものですが、最近の連載マンガは2ページ以降に描かれる事が多いようです。

ちなみに手元にある講談社系の某マンガ月刊誌を確認したら、最初のページに「扉」が描かれているマンガは3割程度でした。

こういう形式に慣れてしまっているマンガ家志望者の描く作品は、「扉」が最初に描かれず2〜3ページ目に描かれている事が多いです。
効果的な描かれ方がされていれば何の問題もありません。
しかし時々「?」という作品に出会います。

3ページ目に「扉」が描かれているのはよしとして、その作品が全8ページだという場合。
イントロ2ページ、「扉」1ページと計3ページ既に使っているので、中身が5ページしか描けません。
そういうマンガは、大体が中途半端な展開で尻切れトンボに終わっています。

2ページもイントロ使わず、内容を充実させるべきだと思うのですが、「こういう形式で扉は描かれるものだ」と思い込んでいるため、そういった発想には繋がらないのかも…と、つい思ってしまいます。

posted by かとう at 05:17| Comment(0) | マンガについて考える

2014年04月20日

マンガに関する雑感その3


ツイッターでのつぶやきを、一部修正してまとめたものです。

●「真似をするのはいけないこと」と思っているマンガ家志望の人達がいるかもしれない。
芸の世界では「名人の芸を見て盗む」という言い方をした。
物事は真似をする事から始まるものなのだ。
「 何のために真似をするのか」が抜けているから混乱する。
自分のマンガのレベルアップのために「真似をして学ぶ」のは必要な過程。
それを「自分の作品として公開する」のはNG。
この区別は知ってほしい。


●「マンガ文法」はマンガを描く際に基本になるものだけれど、「守らなくてはならないモノ」として考えるのではなく「利用するモノ」だと考えるようになった。
しかし「利用するため」には「理解をしておく」事は必要。
「マンガ文法」は、伝えたいことを的確に表現するための「手段」として活用すればよいだけの話。
マンガはハンパなく奥が深く「なんでもアリ」の世界だから、「マンガ文法」として間違っている描き方をしていても他の方法でそれを補う方法がいくらでもある。
最も重要なのは「伝えたい事が適切に表現出来ているかどうか」という事。
「マンガ力」があり、感度のイイ「感性」を持っている人は「マンガ文法」を知らなくてもマンガが描けてしまう。
優れたマンガを読み込んでいることで、無意識のうちに「マンガ文法」を身につけているからなのだろう。

「マンガ文法」というのは後付けの理屈でしかないので、当てはまらないマンガ表現は沢山ある。
後付けの理屈ではあるけれど、せっかく理屈が分かってきたのだから「それを利用しないのはモッタイナイ」ということです(⌒▽⌒)

posted by かとう at 14:13| Comment(7) | マンガについて考える

2014年04月15日

マンガに関する雑感その2


ツイッターでつぶやいたことをまとめたものです。


「〆切を守るためには、手を抜いて間に合わせる!」
「〆切は無視してでも、自分に納得出来るものを描き上げる!」
あなたはどちらのタイプでしょう?
どちらにしろ、プロとしては失格なんですけどね(^_^;)


まれに「マンガの描き方を教えてくれる」のをジッと待っている学生がいる。
初心者ゆえ、どうしていいのかわからないという気持ちは私も分かる。
しかし、課題に手をつけなくては始まらない。
課題をやってみて、自分が「出来ない事や分からない事」は「どこなのか」を知る事が必要。
それが分かれば、講師はそれを指導してあげられる。
何から何までひとつひとつ講師が教えていたら、その課題は講師が描いた作品になってしまう。


マンガを見る際に、一番目につき「上手いか下手か」の判断ができるのが「画力」。
見ただけで直感的に分かるから、マンガ家志望初心者はとりあえず絵を上手に描こうと 努力する。
構成や演出は見ただけでは分からないため、その重要性に気づき「構成・演出力をレベルアップしようと意識を持つ」には時間がかかる。
「ありふれたストーリーでも構成・演出が優れていれば面白いマンガになる」事を知っていれば、構成・演出がうまくなりたいと努力すると思う。


マンガのストーリーを考える時、どうしたら面白くなるのか考える。
いろいろアイデアを出して組み立てていくけど、その際に絶対に忘れてはいけないことがある。
マンガというのは極端な言い方をすると「主人公の行動を見せる」ものだから、常に「主人公を軸にしてアイデアをまとめていかねばならない」ということだ。
うっかりすると、主人公は放ったらかしのストーリー展開を考えていることになる。

posted by かとう at 06:46| Comment(0) | マンガについて考える

2014年02月15日

マンガに関する雑感 1


ツイッターの「マンガに関する」つぶやきをまとめたものです。

●マンガ編集者はプロの原稿が比較の基準なので、マンガ家志望者の原稿の欠点を指摘する事が多い。
専門学校の講師はプロ未満の原稿が比較の基準なので、学生の原稿の優れている点を指摘する事が多い……ような気がする。


●「何故マンガを描くのが楽しいのだろう?」と突然頭にひらめいたのは、「二次元という紙の上ではあるけれど、生命を生み出す作業」だからだという思い。
マンガの中でキャラクター達は自分の人生を一生懸命生きます。
「生命を作り出す」という「神の楽しみ」なんだな〜と感じました。
さらに言えば、生み出される生命は「自分の分身」だということ。
今まで自覚したことはないけれど、考えてみると「結婚して子供が生まれた時のあの嬉しさ」とよく似ている。
「作品は自分の子供のようなものだ」という言い方があるが、まさにそのままだと思う。


●「なぜマンガを描くのが楽しいのか」と考えた時、原点は「絵を描く」ことではなく「マンガ表現としての絵を描く」事だったように思う。
小学校の図工の時間で「絵を描く」のはつまらないし、事実とっても下手だった。
「マンガ表現」って簡単に言えばデフォルメすることだから、その表現が面白くて魅力的だったのだろう。


●マンガを描ける人の作品を見た時は、「面白いか、面白くないか」の感想を伝えられる。
マンガの描けない人の作品を見た時は、「分かるか、分からないか」の確認しか伝えられない。


●マンガが描けない人の作品は、「マンガ文法」と「5W1H」が描けていないモノがほとんど。
「マンガ文法」がしっかり理解出来ていても「5W1H」が理解出来ていない人は多い。


●フキダシの中に「セリフを無造作に書き込む」マンガ家志望者が結構多い。
「無造作に」というのは、改行を考えず、フキダシの形に沿って文字を埋め込むという書き方だ。
「読者には読みづらいかも…」という発想が全くないのだろう。


●手塚先生がご自身で言っているように「マンガは記号」だった。
「マンガが絵」になり出したのは、大友克洋先生の登場以降だろうと思っている。
記号が絵に変化していく上で重要になってくるのが画力。
それにともなって、不要になってきたのが「効果線」
「効果線」は記号の最たるものなので、絵に不釣り合いだからだと思う。


●小学生の時から、「マンガが描ける」って凄い事だと知っていたから、「マンガを描ける自分」に誇りを持ってました(⌒▽⌒)
マンガをバカにする人がいても、マンガの凄さを知らないアホウだと思っていたから、全く気にもならなかった。


●「滑る」という共通点があっても「フィギュアスケート」と「スピードスケート」は違う。
同様に、「絵を描く」という共通点はあっても、「マンガを描く」のと「コミックイラストを描く」では「見せるモノ」が全く違う。
その本質に気付いていない人って結構多いのではないか……とひそかに思っている。


●例外はあるにせよ、基本的にマンガは「読ませるモノ」ではなく「見せるモノ」であってほしい。
「読ませる」マンガは「読み終わる」と疲れるので、手を出すのが億劫(おっくう)になる(-_-)

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2013年12月30日

マンガ表現に関する雑感


ツイッターでのつぶやきを、加筆・修正してまとめてみました。

●コマとコマとの間の「間白」にマンガ独特の面白さが存在する、という事は昔から言われていた。
マンガ家志望の初心者の作品を沢山見ていて、それがよく理解出来るようになった。
彼等のマンガは絵をつなげて描いているだけで、「間白」で読み手の想像力を刺激する描き方がされていない。
だから、読んでいても脳は反応せず、特に面白味が感じられないのだろうと思う。

●リアルな絵になればなる程、効果線を使うと表現に違和感を感じる。
アメコミに効果線があまり使われないのは、そういう理由からだろうか?
画力が高く絵がリアルであればある程、スゴイな〜と感心するし、憧れたりもする。
だが、どう見ても画力は無いのだけれどデフォルメが独特な絵の方に、強烈なインパクトを感じてしまう事がある。
これがマンガの持っている凄さなのだと思う。

●リアルな絵柄であればある程、コマの省略はむずかしくなるような気がする。
絵を細部に渡って描き込んでいるので、バランスをとるため「動作」や「心理描写」なども細かく表現せざるを得なくなる……と推測。

●「メクリ」には大仕掛けなモノと、軽い仕掛けのモノがある。
全ての左ページに大仕掛けの「メクリ」を用意するのはなかなか難しいし、読む方も疲れてしまう。
大仕掛けな「メクリ」と軽い「メクリ」を使い分け、メリハリをつけることも必要だと思う。

●マンガは「読む」ものではなく「見る」ものだと思う。
見ただけでパッと分かる事がマンガの凄さ。
フキダシに書かれたセリフだって、「読む」のではなく「見て」分かるように描かれている。

posted by かとう at 12:11| Comment(0) | マンガについて考える