2015年02月03日

原稿はキレイに


学生に最初の課題を出す際、原稿の内容や描き方以外に必ずアドバイスすることがあります。
「原稿に手の汚れ(特に手の脂分)が付かない様に、手の下には紙を敷くとか手袋などをはめるように!」
という事です。
このアドバイスの重要性は、マンガを長い間描いている人なら実感できるでしょうし、対策はちゃんとしているだろうと思います。

しかし、初心者には手で原稿が汚れるということが理解できないのでしょう。
何度か注意をするのですが、わずらわしいからなのか学生のほとんどは結局直接手を原稿に押し付けて描いています。
あがった原稿が汚くても、本人は平気です。

印刷に支障がない汚れならば問題なしではあるのですが、(程度にもよりますが)汚れた原稿は手にした時に不快感があります。
手の脂分を紙が吸収して紙がヨレヨレになっていたり、脂分にこびりついて綺麗に消えていない鉛筆の黒い部分が残っていたりなど、決して見栄えの良いものではありません。
持ち込みや投稿作品として編集者が手にした時、描き手の原稿に対する姿勢を感じとって、印象としてはマイナスになるだろうと思います。

私自身は独学でマンガを学んだので、「手で原稿が汚れる」という事は誰にも教えてもらう機会がありませんでした。
ある時期に「なんでこんなに原稿が汚れてしまうのだろう・・・」と気になり、直接手を原稿にこすり付けているからだと気づいて以来、手の下には紙を敷いて描くようになりました。

学校というのは、そういう有益な情報を前もって知ることができる場なのですが、受け取るサイドがそれをスルーしてしまうと全く無駄になってしまいます。
いくら知ってもらおうと思っても、本人にその気がなければ、アドバイスは届きません^^;

もちろん、学生の中には私が言ったことを誠実に受け止めて、実践してくれている子もいます。
そういう子は伸びるのも早いです。


posted by かとう at 14:40| Comment(0) | 私のマンガ授業

2012年07月17日

私のマンガ授業(11)


マンガの専門学校には(規模によっても異なりますが)、マンガ家が講師として数人は在籍しています。
他の学校ではどうなのか分かりませんが、以前行っていた2校では一人のネームのチェックを複数の先生がしていました。
複数の先生にみてもらうというのは利点があるように思えますが、私は否定的です。
なぜなら、先生によって、何をポイントにしてマンガを教えようとしているのかが異なるからです。

既にマンガを描ける能力のある人が、様々な意見を参考にするというのなら何の問題もありません。
しかし、初めてマンガを描く初心者の様な(マンガがよく分かっていない)人に様々な意見を聞かせるのは危険に思えるのです。
 なぜかというと、どの先生の意見を参考にしたらいいのか混乱してしまい、描けなくなる可能性があるからです。
あるいは、自分に都合のいい部分だけを受け入れて描き、片寄ったものを描く可能性があるからです。



こんな体験をしたことがあります。

ある先生(デビューして間もない少女マンガの先生でしたが)は、イメージが伝わればOKという指導をされていたようです。
私はイメージではなく、マンガの文法に沿って分かりやすく描くことをポイントにして指導していました(少女マンガと少年マンガの違いということもあると思います)。

その結果、ある学生はその先生からはO Kは出たけれど、私からは「分かりにくいから修正するように」と言われることになります。

こういう場合もあります。
私が学生のネームチェックをしていて、コマ展開が分りにくいところを指摘すると、
「◯◯先生はそれでイイって言いました」

これを言われると、指摘した箇所を修正させるのが難しくなります。
無理に修正させるということは、「それでイイ」と言った先生の教え方を否定することになるからです。

指摘すべきことはしっかりとするべきだとは思いますが、学生たちの混乱を招くやり方はやはりいい方法とは思えないのです。

今講師を務めさせてもらっているつくばの専門学校では、私の意向を取り入れていただき、ネームを見る先生は基本的には一人というスタンスです。
もちろん、学生が意見を聞きたいと持ってくればアドバイスはしますが、あくまで「参考として」という立場を明確にしています。

一人の先生に見てもらう場合、その先生が教える能力が劣っていたら目も当てられない結果になってしまう欠点があるのですが、そんな事が起こらないように、学校側は講師の「教える能力」を確認する必要があると思います。


プロのマンガ家だからと言って、教えることもプロとして優れているとは限りません。

こんな先生がいました。
その先生は、少年週刊誌の長期連載の経験を持つ実力のある先生でした。

その先生の授業をたまたま見学することができたのですが、ネームチェックで一通り目を通した後、一年生(マンガを描いた経験がない)にこんな言い方をしていました。

「きみのは、いろんなモノをぶち込んで作ったカレーみたいだね」

つまり、エピソードが多すぎてストーリーとしてまとまりがなく、何を伝えたいのか分からないという事を言っているのだろうな、と私には推測できました。
次にどんなことをアドバイスするのだろうと興味を持って待ち構えていたのですが、その先生からはそれだけだったのでちょっと驚きました。

確かにそれもアドバイスには違いありませんが、それだけなら授業料を払って学校にくる必要などありません。
持ち込みに行けば、編集者がその程度のことは誰でも言うでしょう。

編集者のアドバイスとマンガ家のアドバイスで決定的に違うことがあります。
編集者はマンガを描いたことがないため、具体的なアドバイスは与えられないということです。
マンガ家は、具体的にマンガを組み立て、描く方法を知っています。
伝えられる情報の質が違うはずです。

ギャラをもらって教えているなら、具体例を上げながらエピソードをどうやつて削り分かりやすくまとめたらいいのかという方法くらいは教えるべきだろうと、私は思ったりするのです。

以上はあくまで私の個人的な考えです。
いろいろな考え方があるので、一概に決めつけることはできません。

しかし、マンガを教える講師として仕事をしている以上、適切なアドバイスをして一人でも多くの人がーマンガが描けるようになって欲しいと思っているのです。
posted by かとう at 04:50| Comment(0) | 私のマンガ授業

2012年07月14日

私のマンガ授業(10)

世間の学校は、そろそろ夏休みに入ります。

私の専門学校での授業は、昨日が最終日でした。
一年生は8ページマンガの下描きチェック。

下描きまで出来なかった学生もいましたが、ほぼ全員ネームまでは描けており、夏休み中にペン入れ・仕上げ作業をしてもらうことになります。

今日の授業内容は、私が講評をするのではなく、各自の下描き(下描きが出来ていない人はネーム)を全員に回覧し、他の人の意見(「良い点」「気になった点」)を聞くという意見交換会でした(もちろん最後には私がまとめとして私の評価を伝えますが)。

文法とストーリー構成という視点で、「解りにくくはないか」「不自然な展開になっていないか」の判断をさせるわけです。
他人の描いたマンガをそういった基準で見させることにより、自分の作品を客観的に見られるようにする訓練にもなります。
また、皆の意見を聞くことにより、実際に自分のマンガが読者にどう伝わっているのかの判断にもなります。

シナリオを元に2ページマンガを描かせ、文法を理解する。
5W1Hの設定をして、プロットを書き、起承転結を意識してストーリー構成をさせる。
各設定の確認をし納得した上で上でネームを描く・・・という今回の指導方法は、過去8年間の授業の中で、実はこの一年生が初めてです。

以前の方法と比べて学生たちの作品の質がどうなるのか興味深かったのですが、出来上がってきた下描き(ネーム)は、驚くほどしっかりと5W1Hを踏まえたものでした。
主人公もしっかりと行動しています。

意見交換会の各自の発言も、(内容はもちろんのこと)文法的な指摘やコマ展開について適切だったことに驚きました。

今回取り入れた授業方法が効果的だったのか、今回の学生たちが特に優れていたのか判断ができないのですが、この方法をしばらく続けて見たいと思っています。

休み明けの学生たちの作品の完成が、たいへん楽しみです。
posted by かとう at 16:13| Comment(0) | 私のマンガ授業

2012年07月09日

私のマンガ授業(9)

5W1Hの具体例

「マンガのマンガ2」を見てもらえれば、マンガにおける5W1Hがどういうものなのか詳しく理解してもらえると思いますが、簡単に書いてみます。

When(いつ)Where(どこで)は世界観。
Who(誰が)主人公のキャラクター、どんな人物なのか。
Whhat(行動目的)主人公は何をしようとしているのか。
Why(行動動機)なぜ主人公はそれをしようとしたのか。
How(どのように)具体的にどの様に行動するのか。

以上の5W1Hがしっかり描かれていないと、マンガとして成立しないことになります。


私が専門学校で担当している授業では、1年生は8ページマンガの製作中です。
ネームのチェックを終え、現在下描きの真っ最中。
夏休み前に下描きチェックをして、夏休み中に原稿を仕上げるという進行です。

さて、この8ページマンガを制作するにあたり、5W1Hを設定した上でプロットを提出してもらいました。
一人の学生の設定を例にとって、マンガにおける5W1Hの解説をしてみたいと思います。


以下はその学生のプロットです(私の記憶によるもので正確ではありません)


主人公の女子高生はネットオタクで、引きこもりがち。
それを見かねた姉が、アルバイトでもして社会と接していかないと、将来困ったことになるよ!とアドバイスをする。
自分でもこのままでダメになるとウスウス気になっていた主人公は、そのアルバイトをする為の面接を受けることにした。
後日、やっぱり不採用の電話を受けた。



設定表に書かれた5W1Hを確認してみます。

When(いつ)Where(どこで)
現代 。日本。

Who(誰が)主人公
ネットオタクで引きこもりがちだが、このままではいけないと危機意識をもっている。

Whhat(行動目的)主人公
アルバイトの面接を受けようと決意する。

Why(行動動機)
今の生活からの脱皮するための第一歩。

How(どのように)
面接を受けに行く。



プロットと設定表を見て、どう思われたでしょうか?

ちゃんとした5W1Hが設定されている!と思われた方はいませんか?
もしそう思われたなら、あなたはマンガの5W1Hが理解できていません。

これがマンガになった場合、何を見せたいのか、何を面白がらせたいのかサッパリ分からないマンガになるはずです。
狙いどころ(設定)はオモシロイのですが、マンガとして最も重要な部分がスポンと抜けているのです。


スポンと抜けている部分というのは、主人公の具体的な行動の描写がないということです。

「面接を受けに行く」という行動が入っているじゃないか!
と指摘されるかもしれませんが、あまりに抽象的です。
そこで何が起きたかは何も描かれておらず、「行く」という行動だけしか描かれていません。

実は、このプロットは(最後の不採用と言うオチの部分を除くと)状況設定が書かれているにすぎないのです。
導入部分だけが描かれ、過程を飛ばして結果だけが描かれているのです。

「社会人としてバイトの面接を受ける様子」を具体的に描写するべきなのに、「面接を受けに行く」という行動で展開を曖昧にしてある、つまりHowの設定が間違っているということになります。

読者は、(状況説明された上で)さあ!主人公はどんなことをやらかすんだろう?!と期待します。
面接官に、引きこもり・ネトオタだとばれたら採用の可能性はないかもしれない、と主人公は考えるかもしれません。
だとしたら、主人公はどんな行動を取るのだろう?
何とかアルバイトとして雇ってもらうために、どんな売り込みをするのだろう?
引きこもり・ネトオタが考える一般の社会人像ってどんなものなんだろう?
その他にもイロイロ見せ所はたくさんあるはずです。

この部分を見せてこそマンガの面白さが伝えられます。

主人公に感情移入させ、主人公の行動と共に読者も同じ体験をしてハラハラドキドキするから、マンガは面白いのです。


この学生には上記の事を話し、面接の場面を膨らませて主人公の行動を描くようにアドバイスをしたのは言うまでもありません。


posted by かとう at 21:30| Comment(0) | 私のマンガ授業

2012年07月07日

私のマンガ授業(8)

「マンガはコマの中に絵とセリフが描かれているので、読みやすく分かりやすい」と思われているフシがあります。

絵とセリフがコマの中に描かれていれば、面白く読ませることができる。
だから、絵が描けてストーリーが作れればマンガが描ける!と思っている人も多いのではないかと推測できます。

実はあまり理解されていないのですが、なぜマンガが分かりやすく読みやすいのかといえば、それはプロのマンガ家さんが

分かりやすく読みやすいように描いている

からで、「絵とセリフがコマの中に描かれている」からマンガが分かりやすく読みやすいのではありません。。


ネット上でこんなことがよく言われます。

専門学校なんて行くのは無駄!
あんなところに行かなくたってマンガは描ける。
高い授業料を払うだけ、もったいない!


講師を始める前は私もそう思っていました。
講師を始めてしばらくの間も、実はそう思っていた時期もあったのです。

でも今は「絵とセリフを描いたコマを並べてストーリーを描けば、マンガになると考えている人」が、こういうことを言っているのではないかと思うようになりました。

学生達や受講生達の作品を見ると、ほとんどのマンガが判で押したように、同じような間違った描き方をしているのです。
マンガにはセオリーがあって、それをしっかりと守った上でないと分かりやすく読みやすいマンガは描けません。

マンガ文法と5W1Hの構成・演出法が分かっていないで描かれたマンガは、何が描かれているのか、何を伝えたいのかが読み取れないのです。

もちろん、分かる人はこれらも独学でも学び取る事が出来ますが、大部分のマンガ家志望者はこれらの存在を理解することなく、作品を描き続けることになります。
いつかは気づくのでしょうが、遠回りをすることになるのは間違いありません。

専門学校(※1)の存在意義は、このセオリーを教えて、プロになるための近道を提供することなのではないかと思っています。


※1
専門学校によって様々な方針が存在するので、全ての学校がマンガ文法と5W1Hの授業を行っているとは限りません。
作品制作の際のネームチェックなどで、講師がアドバイスする方法をとっている場合もあると思います。
また、マンガ文法と5W1Hの重要性を、さほど認識していない専門学校も存在する可能性があります。








posted by かとう at 09:19| Comment(0) | 私のマンガ授業

2012年07月05日

私のマンガ授業(7)

マンガを描くための基本的な考え方は、この2ページマンガと8ページマンガで理解はできているはずなので、後はひたすらそれを身につけるための練習ということになります。

専門学校では、1年生の後期には16ページ、2年生の前期で24ページ後期では32ページというように、ページ数を増やして行きます。
それぞれのページ数にあった内容の選択・構成を考えながら作品を描き上げていくわけです。

この作業を繰り返していくうちに、読者を想定してマンガを描くというのはどういうことなのかを肌で感じるようになります。

つまり、私が読者の立場から、「ここはどういうこと?」とか、「なぜこうこうなるの?」と常に質問を繰り返すうちに、自分では分かっているつもりでも読者には伝わっていないことが理解できるようになるということです。

それが分かると、前もって疑問を持たれないように分かりやすく描くという事を覚えるというわけです。
posted by かとう at 19:40| Comment(0) | 私のマンガ授業

2012年07月01日

私のマンガ授業(6)

2ページマンガの授業で、基本的な「マンガの文法」を理解してもらった後は、8ページマンガの授業になります。

8ページマンガで何を身に付けてもらうのかというと、ストーリーマンガの「構成」です。
内容でいえば「マンガのマンガ2」で描いていることの実践になります。
もっと具体的に書くと、「5W1H]を理解するということです。


当初の授業の進め方は、テーマを与えてそれを8ページのマンガにまとめるというものでした。
実は私自身「5W1H]に関しては、特に意識してマンガを描いたことがないので、「5W1H]にこだわることなく「ストーリーをまとめて8ページのマンガを描く」ことに主眼を置いていました。

わずか8ページしかないので、複雑なストーリーマンガを描くことはできません。
描けるのはちょっとしたエピソードに限られます。


実際に上がってきたネームをみて驚いたのは、「8ページには絶対収まらないでしょ?」という設定のマンガが多かったことです。

8ページという短いページ数では、登場人物を少なくし、舞台を現実の世界にしないと、キャラクターの説明や世界観の説明だけでページが終わっちゃうでしょ・・・という説明をいちいちしないといけなかったのを覚えています。

エピソードという考え方が難しいらしく、学生たちはまとめるのにずいぶん苦労したようです。
出来上がったネームをみると、何か物足りないし、面白くない。
その原因が、アイデア不足なのだと分かっていてもどこをどう直したらいいのかを的確に指摘するのがなかなか難しいので、私自身悩みました。

「ここをこうしたら面白くなるのに・・・」というアドバイスは、アイデアの押し売りになってしまうからです。
それを描いたら、それは私のマンガになってしまう。

でも他にやり様がなかったので、「ひとつの考え方」として参考にしてね、という意味合いでこのやり方を数年続けていました。


「マンガのマンガ2」を描き始めて、ストーリーの構成をじっくり検証し考え始めて、遅まきながら初めて「5W1H」の存在意義に気が付いたのです(汗)。

マンガを描く上で「5W1H」は必要だということは、さまざまな「マンガの描き方」の本でかかれています。
しかし、「ストーリーマンガを構成する上での5W1H」について具体的に描かれた本を見たことがありません。

「いつ」「どこで」「誰が」「なぜ」「何を」「どのように」をしっかり描きましょう・・・といわれて、分かった人はいるのでしょうか?

実は、本に書かれている「5W1H」は、状況を伝えるための「5W1H」であって、ストーリーマンガを構成するための「5W1H」として分かりやすく書かれていないのです。
(私自身「5W1H」といわれてもピンときませんでしたから)


ストーリーマンガを構成するための「5W1H」を自分なりに考え、理解できた時は「そうか〜こういうことだったのか〜!!!」と狂喜しました。

もっと若い時に理解できていたら、私のマンガは今の3倍は面白くなったのに・・・と非常に悔しい思いをしました(ホントに。

ストーリーマンガを構成するための「5W1H」が理解できた私は、自分のアイデアを押し売りせずに、描かれた8ページのネームの「足りない部分が何なのか」を指摘することができるようになりました。

最近の授業では、ネームを描く前にストーリーを構成するための「5W1H」を設定させてチェックし、足りない部分を指摘した上でネーム作業に入るような授業進行にしています。


専門学校では1年生の前期で、フェーマスの教室では10回の講座で、2ページマンガ・8ページマンガの製作をしています。

「マンガ文法の理解」と「ストーリー構成の基本の習得」は、「才能」ではなく覚えて身に付ける「技術」です。

これらを独学で気づくにはおそらくかなりの時間を要する筈です(天才的な人は別ですが)。

「ひとりよがりのマンガ」から脱却し、プロのマンガ描きとしての一歩が踏み出せるようになるはずです。


半年でこれらを理解し、実技・練習をして技術を向上させることに、学校や教室の存在意義があるのかな〜と最近は思うようになりました。

posted by かとう at 16:43| Comment(0) | 私のマンガ授業

2012年06月27日

私のマンガ授業(5)

「ひとりよがり」のマンガというのはどういうものなのか?
言葉では分かりにくいと思うので、一例をお見せして具体的にお話します。

面接で緊張している人を描くとします。
このような描き方をするのが「ひとりよがり」のマンガです。

ひとりよがり.jpg

「面接会場」と文字で説明し、「名前は?」と聞かれて「山田です」とドキドキしながら答えているらしい・・・・・・・ということはなんとなく伝わります。
なぜ伝わるかというと、すべて文字が書かれているからです。
しかし、とても曖昧なマンガ表現になっていることにお気づきでしょうか?

1 面接会場がどのような場所なのか分からない
2 名前を聞いた人がどういう人なのか分からない
3 緊張している人の心情が分からない
4 セリフを読む順序が分かりにくい

1は、背景が描かれていないためにどういう場所で面接が行われているか具体的に伝わってきません。
「面接会場」という文字がコマ内に書かれているため、読み手が勝手に面接会場を想像して納得しています。

2は、面接官が描かれていないため、男なのか女なのかが分かりません。
一般的に面接官は男性が多いので、男性だろうと読み手が勝手に想像しているに過ぎません。

3は、「ドキドキ」という描き文字が描かれているので、ドキドキしているのだろうと勝手に読み手は想像しますが、同じ「ドキドキ」でも緊張して心細くなって怯えている「ドキドキ」もあれば、自分をアピールしてやろうという緊張感もあるはずです。

4は、会話のセリフが書かれているのだから、二つのセリフを読めば意味が分かるという描写になっていて、会話のテンポを無視しています。

結局のところ、「この程度描いておけば、後は分かってもらえるだろう」という、読み手の想像力に頼っている描写になっているということです。

一コマだけなら、何が描かれているのか想像力で補完して読み解くことができます。
しかし、これが延々と続くとなると、何が描かれているのかが分からない部分が増幅されていき、結果として分からないマンガになります。

実はこの程度の描写は、まだましな方だったりします。
たとえば、「面接会場」という文字が書かれていないコマを想像してみてください。
何が起きているのか皆目見当のつかない描写になっているのが理解していただけると思います。

マンガというのは基本的には「絵」で見せるものです。
「絵」とは何かといえば、「具体的」にコマの中で何が起きているのかを伝えることです。




では、具体的に伝えるには、どのように描けば適切なマンガ表現になるのかを見てください。


分かる表現.jpg

状況が伝わって、分かりやすくなっているはずです。

もちろんこれだけでは十分な描写とはいえないかもしれませんが、少なくとも何の負担も感じることなく次のコマに読み進められます。

ひとりよがりのマンガは、読者に負担をかけてしまい、結果として何も伝えることができません。
自分の頭の中にあることの一部を抽象的に描くのではなく、読み手の立場を意識して分かりやすく描くことが重要だということがご理解いただけたでしょうか。
posted by かとう at 08:34| Comment(2) | 私のマンガ授業

2012年06月24日

私のマンガ授業(4)

専門学校の学生やフェーマスの創作コミックグランプリに応募されてくる作品・課題のオリジナル作品など、「マンガ家になりたい」という人達の描いたマンガを拝見する機会が多いです。

しかし、残念なことに8割近くが「ひとりよがり」の作品になっています。
他の専門学校でも、あるいは商業誌に送られてくる「○○賞応募作品」でも、おそらく傾向はさほど変らないと思います。

「ひとりよがり」の作品というのは、描き手の自分には何が描いてあるのかは分かっていても、読み手には何が描かれているのか伝わらないマンガをいいます。
コマの中に絵が描かれていても、マンガ表現が適切でないと伝えたいことが伝わりません。

描いた本人は「何が描いてあるのか自分は分かっている」のですが、「読み手にもそれがちゃんと伝わっている」と、何の疑いも無く思い込んでいます。
これに気が付かないと、延々と「ひとりよがり」の作品を描き続けます。
実に困った問題ですし、気の毒なことです。

プロとしての道を進みたいなら、まず自分の描いた作品が「ひとりよがりのマンガ」なのかどうかを知ることが重要です。
そのためにはプロの目を通して確認してもらう必要があります。
(友人とか同人仲間はダメです)

「持ち込み」をして編集の人に指摘をしてもらうのは一つの方法です。
しかし、編集者はマンガを描くことはできません。
できればプロのマンガ家がいいです。
マンガを実際に描いてきたプロのマンガ家は、表現方法に関してはノウハウを知っています。
学校などで教える立場にあるマンガ家は、さらに適切な指導方法を心得ているはずです。
(もちろん、個人差がありますが・・・・)


どうしたら「ひとりよがり」作品からの脱出できるのか?

どこの部分の表現が欠けているのかをまず自覚し、適切なマンガ表現で描くにはどうしたらいいのかを考えていくことで、「読み手にも伝わる」作品が描けるようになります。
これらの作業は、1人で頭で考えていてもなかなか難しいです。

しかし一度指導のもとで作業を体験すると、その要領が理解できるようになります。

私の授業は「マンガのマンガ」を元に授業を構成しています。
最初の2Pマンガでは、作成過程のネームに具体的にアドバイスすることで、「ひとりよがり」な表現の自覚をしてもらいます。
そして、ネームの修正行程で「マンガ表現」の輪郭をつかめむ体験をしてもらっています。
かなり効果的です。

専門学校の授業やフェーマスの直営教室での授業を通して、実際に体験し身体に覚えさせるのは重要なのだということを感じるようになりました。
posted by かとう at 16:45| Comment(0) | 私のマンガ授業

2012年06月21日

私のマンガ授業(3)

出来上がってきた学生達の作品は、シーンの解釈を自分なりに膨らませ、アレンジしたものでした。

1ページに描けるコマ数は十分ではないので、2ページにしてコマ数を増やし、余裕を持ったコマ割を目指したのですが、余分なシーンを描き加えたりオチを入れたりしたものが出来上がってきたのです。

適切な表現が理解できている人がシーンを膨らませて描くならそれもありなのですが、残念ながら「分からなさ」が余計膨らんでしまった印象でした。

膨らませた余分なシーンも合わせて、どうしたら分かりやすく表現できるのかをマン・ツー・マンでアドバイスします。
「自分なりに膨らませたという姿勢」も大切なので、追加シーンも尊重したアドバイスになります、

このやり方は五年程続いたと思います。
目的は何が描かれているのかを適切に伝えるコマ展開の理解だったので、それなりに成果をあげられたと思います。

しかし、問題点もありました。
シーンの適切な表現を理解させる事よりも、場合によっては世界観やキャラクターの見せ方にアドバイスが向かってしまうこと。
描き手によって世界観やキャラクターがあまりに違い過ぎるため、アドバイスの仕方が混乱することなどです。

何かいい方法はないものかと考えていて、もっともオーソドックスなことに気がつきました。
シナリオを用意すればいいのだ・・・・と。
世界観や登場キャラクターをあらかじめこちらで指定しておけば、バラバラな世界観やキャラクター描写はなくなります。
したがって、シーンを分かりやすく面白い表現にすることに集中できるはずです。

さらに、同じシナリオをマンガで描くので、それぞれの描き手の表現描写が皆で見比べられます。
同じシナリオでありながら、出来上がってくる2ページは見せ方が違ってくるのが面白いです。

キャラクターの動作や表情・コマ運びなど、描き手の個性が出てきて、他の描き手も参考にもなっているのではないでしょうか。
描く際の注意ポイントも適切に指摘できるため、いい方法だと(今のところ)思っています。

「教える」という仕事も、経験によって方法が淘汰され進化していくのだなぁ・・・と実感しています。

<つづく>
posted by かとう at 06:44| Comment(0) | 私のマンガ授業

2012年06月16日

私のマンガ授業(2)


「自然で分りやすいコマ展開の練習」として出した最初の課題なのですが、多くの学生達が力を入れたのはそこではなく、「キャラクター」と「雰囲気」でした。

「最初のコマには背景を描く必要があります」
「二人以上の登場人物が出てきたら、同じコマの中に描いて位置関係を伝えなくては分かりません」
「だれのセリフなのか分かる描き方をする」など約束事がキレイにどこかに飛んだネームが上がってきました。

「キャラクターが居る場所はどこなの?」
「二人はどんな位置関係で立っているの?」
「これ、誰のセリフ?」
と質問すると、「なぜそんな質問をするのか分からない」といった反応をします。

描こうとしているものがどういうシーンなのかは自分の頭の中にすでに描かれているので、キャラクターを描くだけで「キャラクターがどこにいるのか」「こんな位置関係で立っている」ということが、読み手に伝わると思っているようです。
だから、「なぜ先先は分かりきったことを質問するのだろう」と、彼らは思うのでしょう。

「描かれていることが、いかに伝わっていないのか」を1人1人に(なにせ、キャラクター・世界観・『A』が全員異なり、描き方も異なるので)解説してあげると、そこで初めて納得します。

修正点をアドバイスしてネームを修正させ、原稿に仕上げるのですが、どこかぎこちないコマ展開になっています。

この1ページの課題では、完璧なものを目指すのでは無く、自分の描いたマンガが「いかに独りよがりで伝わりにくいのか」を実感してもらうことが目的ですから、ある程度まで描ければ良しとしていました。


この課題を終えると、「マンガには読者が存在する」という「当たり前の事」が少し理解できる様になります。

ペンを使ったことが無い人は、見よう見まねでペン入れをし原稿を完成させます。
いかにペンが思い通りに線を描けないかの体験をし、わずか1ページでも「作品を完成させたという喜び」も感じてもらるようです。

2年ほど「指定したシーンを1ページで描く」課題でしたが、1ぺーじだとどうしても細かいコマ割りになりがちです。
せっかくならコマ展開と共に「メクリを意識して描く」要素をいれたらイイかも・・・と考え、翌年からは1ページではなく2ページにページ数を増やしました。
つまり、見開きの2ページ分を描くということです。
「メリハリをつけた、左右のページのコマのバランス」も考慮することになり、より効果的な課題になると確信しました。

しかし、出来上がってきた学生達の作品は、またまた私が思いもよらぬ方向に向かっていたのでした。

<つづく>
posted by かとう at 19:24| Comment(0) | 私のマンガ授業

2012年06月13日

私のマンガ授業(1)

専門学校でマンガ講師を始めて8年近くになりました(2012年現在)。

最初の頃は何をどう教えたらよいのか戸惑うことも多かったのですが、さすがに経験を重ねてくると何が重要で何が不要かが見えてくる様になりました。

これから数回にわたって、

●マンガの講師として私はどのような授業をしているのか

●経験を積んできて、教え方にどういう変化が出てきたのか


をお話してみようかな・・と思っています。


マンガの講師といってもそれぞれ担当があります。
いわゆるキャラクターや背景・パースといった作画に関する授業と、ストーリー・演出に関する授業と大きく二つに分かれます。

私の授業内容は、講師を始めた頃は後者に属していました。
しかし、最近は後者寄りではありますが、やや独自な方向に向いているように思います。


私のマンガ授業<最初の課題>

マンガを描いた経験があろうが無かろうが、とにかくまず「コマ割りをしたマンガ」を描いてもらっています。
何が描かれているのか、読者に分かるマンガを描くこと。
それがまず重要だと考えているからです。

描いてもらうに際して「マンガのマンガ」に目を通してもらい、その上で基本的な「マンガの文法」をレクチャーし、マンガの「約束事」について頭に入れてもらいます。


最初の課題は、2ページマンガ。
シナリオを用意し、それを2ページでコマ割りをしてマンガを完成させてもらいます。
マンガの冒頭のシーンを想定して描かれたシナリオなので、最初のコマには背景を描く必要があります。
そして、主人公が誰で、何をしているのかが分かる様に描かなくてはなりません。
また、最後のコマは「メクリ」になるので、どのような絵を描くのが効果的ななのかということも意識して描く必要があります。
その他にも、「何が描かれているのか分かるマンガ」としての重要な「約束事」を解説し、実際に作業に入ってもらいます。

学生達の顔を見ると、「なるほど・・分かりました」みたいな表情をしているのですが、実際に描き上げられたネームをみると、教えた文法や知識が見事にどこかに飛んでいってしまっていることが多いです。

マンガを描くというのは、頭で分っていても簡単に描けるものではないのです。
理屈で分っていても、水泳で息継ぎが簡単には出来ないのと同じことで、練習することで身体(頭)が覚えていくのです。

「たくさんの作品を描きなさい」とよく言われます。
たくさんの作品を描くことで、マンガを描く身体(頭)なっていくのです。



「シナリオを用意して2ページのマンガを描く」という授業になったのは、最近の事です。
当初はシナリオを用意せず、

「気配を背後に感じた主人公が振り向くと、そこに『A』が立っていた」

というシーンを1ページで描いてもらっていました。
キャラクター・世界観・『A』をすべて自分で考えて、それをコマで表現してみよう!ということで描かせていたのです。

その頃はマンガの文法や基本的な構造について深く考えたこともなく(まだ「マンガのマンガ」は描いていません)、マンガ家としての自分の経験だけが頼りでした。
まずは「コマ割りをしてマンガを描くこと」に慣れさせることが目的だったのです。

ところが、出来上がってきた学生達の作品は、私が思いもよらぬ方向に向かっていて、私は困ってしまったのでした。

<つづく>

posted by かとう at 16:01| Comment(0) | 私のマンガ授業